戦後の福祉⑪ 

コロニー建設の背景

 

 小林提樹は障害児殺しについて石川達三、水上勉とつぎのような意見のやりとりをしています。

 

小林「生まれた時に奇形がわかれば安楽死というお考えかも知れませんが、私はそれは、安楽死という言葉ではない気がするのです。生まれたばかりの赤ん坊は、むしろ両親、家族ほうが苦しんでいるので、自分たちの精神安定のために、行った犯罪、人殺しになってしまうという気がするのです」

 

石川「この子が家族の中に生きている限り、家族が皆不幸になる。家族全体の自衛のための手段ということも考えられるでしょう」

 

小林「その子の意思に沿うようなものじゃないということにおいても、私は人殺しだという感じが強いように思うのですが」

 

中略

 

水上「理想論でいくらいっても、母親にも本人にさえも酷だと思うのです」

 

小林「にもかかわらず、それを生かすように持っていかなければならない。辛くても生かすということが、こういう施設(注・障害者を受け入れる施設)を発展させる一つの基盤になります。悲しいからといって目をつぶるんじゃしょうがない。それに向って抵抗していこうじゃないか」

 

 小林は戦後の日本でいち早く障害児療育、障害者保護をはじめた実践者でしたから、彼のことばは他の発言者にとって重みがあります。 

 そして、小林の発言の背景には国家責任という考えがはっきりとあったので、全体の議論も施設建設へとシフトしていきます。

 その前に、水上が次のような発言をします。

 

水上「奇形の子を太陽に向ける施設があればいいが、そんなものはない。そうした今日本では、どうしても生かしておいたら辛いんだな。親も辛い、子も辛かろう」

 

 水上は、世間の役に立たない障害者は生命を審査する部署で殺すことを決定してほしいといっていた立場なので、現実的に障害児を受け入れる施設がないのだから、殺すべきという論理です。

 

 しかし、ほかの発言者は、だからこそ国の予算で施設を作るべきという論調になります。

 

 コロニーという大規模施設が国民的に合意された背景には、こういった小林提樹たちの活動が認められた側面があります。

 

 ただ、そこにはやはり障害児の存在は認められないという無言の声が反映されていました。障害児・者を一か所に集め、世間から見えないものとしてあつかい、結果として障害者のいない社会をつくりあげようという意向です。