戦後の福祉⑧

 大規模コロニーが実現したのは、家族と世間が総和として障害のある人を認知し、そして、かくすことを志向したからとおもいます。

 昭和30年台の障害児・者のおかれている悲惨でした。おおくの障害のある人は世間から隠され、家族は息を潜めるように生きていかなければならず、そのような状態を解消するために「生まれない」ことが望まれました。そして、唯一の障害児の生きる希望としてコロニー構想があったといえます。

 

 作家の水上勉は中央公論誌上で「拝啓池田総理大臣殿」を発表することにより障害者のコロニー建設に一定の役割をはたしました。

 その水上が、「拝啓池田総理大臣殿」の数ヶ月前に、婦人公論に掲載された「奇形児は殺されるべきか」という討論会のなかで、くりかえし障害児の抹殺を肯定する発言をしています。

 

 この「奇形児は殺されるべきか」は 1962年、ベルギーでサリドマイドえい児を、母親を中心として医師、家族が加わり殺す事件が起き、それをうけて作家、医師が誌上討論する企画です。参加者は石川達三(作家)、戸川エマ(評論家)、小林提樹(医師)、水上勉(作家)、仁木悦子(作家、障害当事者)5名です。

 

 サリドマイドは1957年西ドイツのグリュネンタール社が睡眠、鎮痛剤として「コルテガン」という名前で発売し、世界46カ国で販売されました。

 日本では、大日本製薬が1958年に「イソミン」という名前で発売しました。

 

 サリドマイドは、成長を阻害する薬であり、妊娠初期の妊婦が服用したとき、まだ、赤ちゃんの姿をする以前の胎芽期の発達段階で腕の成長を止めたり、耳の成長を止めたりすることにより、身体に障害をもったこどもが生まれてきます。

 「コルテガン」が発売されてから4年後、西ドイツのレンツ博士が障害児の出生とサリドマイドの関連を立証し、製造元のグリュネンタール社に警告を発しました。

 日本ではその10ヶ月後に「イソミン」を発売中止にしました。

 その間、全世界で5850名のサリドマイドの影響を受けたこどもが出生しました。一番多い国は、西ドイツで3049名、次いで日本の309名です。そして、40%のこどもが死亡したと言われています。


 近年、サリドマイドは多発性骨髄腫に対する効果が立証され、現在は抗ガン剤として使用されているそうです。

 

 ベルギーではサリドマイドの影響受けたえい児が殺され、しかも、陪審員の答申は無罪であり、世論も圧倒的に母親を支持していました。

 

 「奇形児は殺されるべきか」で各出席者はベルギーの事件に対して、一人のひとを殺して無罪はありえないというスタンスです。しかし、その内容は法的秩序が乱れるからということが主な理由であり、有罪にしたあと執行猶予が妥当ではないかということでした。つまり、障害児は殺されてもしかたがないということにたいして、消極的に賛成しているといえます。

 

 しかし、その中で水上は、もっともはっきりと社会にプラスになり得ないと判断されれば、それはひとの範疇にはいらないのではないかといって、積極的な賛成の意を表しています。


 

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