戦後の福祉⑦

 大規模収容施設であるコロニー建設は、障害児・者問題の当時における一つの解でした。

 現実と法律がいっこうに噛み合わなかったなかで、外国を参考にしてまで考えだされたのがコロニー構想です。これで、それまでの不合理な現実は解消されるはずでした。障害があっても人として活きいきとして生きていけるまさしく夢の施設でした。

 それだけに期待も大きく、社会各層から多くの支援が寄せられましたし、全国重症心身障害児(者)を守る会という父母の組織もねばり強く活動を続けました。

 コロニー構想がひろがる背景のひとつに作家の水上勉氏が「拝啓池田総理大臣殿」で民間の重度心身障害児施設の島田療育園をとりあげ、また、これに対し内閣官房長官の黒金泰美氏より「拝復水上勉様」と返信したことで、より多くの人がこの問題に関心をもつきっかけとなりました。

 「拝啓池田総理大臣殿」は水上が自らの納税額が1,100万円だったことと、島田療育園への2年間渡る政府の補助金(研究費という名目)が1,000万円だったことを対比し、いかに政府が福祉に対して冷たい税の配分をとっているのかを問うた作品です。

 それに対し、「拝復水上勉様」で黒金は、政府の対応として障害児に対しては、児童福祉法でしっかりとやっているが、重複障害児、重度障害児についてはおくれをみとめ「将来、この方面をもっと拡充しなければならぬ」と書いています。

 そして、そもそも「不幸な子供が生まれないよう健全な母体を育て妊娠中の保養に努めること」が必要だと、この問題の最大の原因を「不幸な子が生まれない」ことにおいています。

 最後に「人目をさけて自宅に隠れて療養しがちだった結果、手遅れになっていた問題がとにもかくにもここまで進展してきたのであります」と重度、重複障害児・者の問題が社会レベルまで可視化されてきたことを書きました。

 コロニー構想はこういった状況の延長線上にありました。

 そして不思議なことに、かくれていた問題がおおやけとなったあと、人びとの合意のうえでふたたびかくしていくという方向がとられていくのです。